出産に見立てた死の儀礼
古来、日本人は死を「肉体から魂が分離した状態」と考えました。
そこで、葬儀では肉体と魂のそれぞれに手立てを行うことが必要でした。
肉体は、魂が分離したところに、ほかの魂が入りこまないように封印をして葬りました。
一方、魂に対しては、肉体から離れることを出産に見立て、赤ちゃんが産まれるときと同じことを行いました。
赤ちゃんに産湯をつかわせ、産着を着せて名前をつけるように、亡くなった人の末期の水をとり、湯瀧をして死装束を着せ、あの世の名前である戒名を僧侶につけてもらったのです。
ご飯をお茶碗に盛って箸を立てま〈らめしる「枕飯」の儀礼も、魂がどこかに行ってしまわないように、おいしいもので引き止めるために行われるものです。
生まれたばかりの魂は、この世の赤ちゃんと同じようにやんちゃで不安定なところがあり、場合によっては荒れ狂う恐ろしい存在とあらたま考えられてきました。
この「荒魂」が暴れだすと、村全体に被害が及ぶことになります。
そこで、村をあげて魂をいたわり、荒魂が「利れ九含A’魂」になって、無事にあの世に行けるように、村をあげて葬儀を行いました。
今でも地域の「組み内」や「町会」が主体となって葬儀を行うところがあるのは、こうした理由があるからです。
あの世はどんな世?
亡くなった人の魂は、肉体から分離して「あの世」に行くと考えられました。
あの世は、この世とは正反対の世界です。
出棺の際に故人の使っていたお茶碗を割る風習があります。
これは、この世で壊れたものは、あの世では完成されるという考えによります。
時間も逆なので、この世が夜のときあの世は朝になります。
昔は、あの世の朝の明るいときに亡くなった人の魂を送り出してあげるため、この世の葬儀は夜に行っていました。
通夜をしたり、祭壇にろうそくや提灯などの明かりを飾るのは、その名残です。
供養によって魂を育てる
この世で子どもが育つように、魂の赤ちゃんは、あの世で大人の魂に成長します。
残された家族が供養をするのは、魂の赤ちゃんが成長するのを助けるため。
供養は、下図のように、この世の成長儀礼と同じように行われます。
お産の忌明けにあたるお宮参りと四十九日、お食い初めのお祝いと百か日の法要、初誕生にあたる一周忌、七五三にあたる三周忌、七周忌、十三周忌。
子どもは一般的に7歳ぐらいまでは病気にかかりゃすいものですが、魂の場合も七周忌ぐらいまでは不安定で、供養を怠ると崇ると考えられていました。
成人式や結婚式にあたるのが三十三回忌で、ここで魂は大人になとむらったと見なされます。
「弔い上げ」といって、供養は三十三周忌でおしまいになり、仏壇から神棚に移されて杷られます。
このときから、魂は子孫を守ってくれる神になるのです。
つまり、供養とは、魂を神に育てあげることを意味し、残された子孫の務めであると考えられてきました。
最近は少なくなりましたが、日本の家庭に仏壇と神棚が無理なく同居していたのは、こうした理由によるのです。
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