釈尊の平和思想

釈尊は、争ったり論争したりすることを好みませんでした。

この釈尊の基本的な人格が、仏教を通じて絶対平和の道に導きます。

世界の多くの宗教が、その教えを広めるために血を流していますが、仏教だけは、絶対に血を流さず、争いをおこしませんでした。

むしろ、その場のもろもろを吸収し、仏教の中に包みこみ、消化してしまいました。

その土地の神々も行事も、いつのまにか仏教に同化してしまいました。

釈尊は次のように教えています。

「これらの見解に住みついて、これのみが真理であると論争する人々、彼らはすべて他人から非難を招く。

ただ、それについて一部の人々から賞賛を博するだけである。

たとえ賞賛を得たとしても、それはわずかなものであって、平安を得ることはできない・論争の結果は、賞賛と非難との二つである。

お前たちは、論争をしてはならない。

」また、人を呪ったり、惑わしたりする「悪呪密法」は禁じましたが、善呪は認めました。

今に伝わる「護摩」は、ホーマという当時の呪術的行事ですが、インドの神々も仏教の仏たちとなり、現代につづいています。

葬儀などの儀礼も認めました。

護摩とは

「護摩」というのは、密教による祈輯の方法です。

もともとは、インドで行なわれていた呪術的な行事で「ホーマ」とよばれており、これは梵語で、智窓をもって煩悩の配が焼くことを意味しています。

護摩のやり方は、不動明王や愛染明王など本尊の前で、護摩木といわれる薪を焚き、五穀を供養して祈輯します。

このとき、ご本尊と炉に燃える炎と行者(修法者)は、一体となって、祈願する者に力を与えます。

護摩の炎は煩悩を焼きっくし、火焔の風は智慧となって、祈りを捧げる者を救います。

祈る者は一心に炎を見つめ、没我の中に、祈願をこめます。

祈藉は、祈願の内容によって異なり、釈即(病気、災害などの消滅を祈る)・増益(長寿延命や商売繁盛を願う)・降伏(悪魔、怨敵を退散させる).即如(人から愛されるように、和合をはかる)を祈ります。

祈願は具体的であることが望ましく、その内容を書いて祈諸します。

祈願の趣旨を書いた板や紙を「護摩札」とか「護符」といい、お守りとして奉安し、身辺にはって、諸仏のご加護を得ます。

古くなった護摩札は、お寺に持参して、お焚上をします。

けっして、ゴミといっしょに処分したりしてはいけません。

 

 

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