経典ができるまで

「合謂」による教えの結集

釈尊が亡くなったとき、修行者の一人、須版が「あのうるさい指導者がいなくなった。

我々は自由になった。」

とつぶやいたのを聞いて、釈尊のあとを継ぐ摩詞迦葉は、「早く釈尊の教えを全員で確認し、きちんとした言葉にしておかなければ、釈尊の教えが曲げられてしまう」と、ひそかに決心しました。

そこで、迦葉は仲間に呼びかけました。

「友よ。我々は、よろしく法(仏の説いた真理)と律(守るべき規則)とを結集し、非法おこりて正法おとろえ、非律おこりて正律おとろえ、非法を説くもの強く、正律を説くもの弱く、かくならんことに先んじようではないか。」

 

一同はこれに賛成し、たえず釈尊のそばにいて釈尊の言葉を最も正確に知っている阿難に法を、教団の中で、最も忠実に戒律を守っている優波離に律を担当させて、釈尊の言葉を整理し、まとめてゆきました。

これを「結集」といいます。

そのやり方は、まず、阿難が全員の前で釈尊の言葉を忠実に再現します。

「私は、このように聞いています。あるとき、仏は○○におられました……」

 

これが、「如是我聞、一時仏在……」という、ほとんどのお経の形です。

そして、全員で間違いのないことを確認すると今度は、全員で同じ言葉をいっしょに唱えます。

何回も繰り返して、全員で暗記してしまいます。

全員で合唱するように唱えるので、これを「合謂」といいます。

合謂は、繰り返すうちに、自然と、あるリズムをもってきます。

歌のようなもので、勝手に言葉を加えたり、削除したりすることはできません。

また、とくに重要な部分は、詩のような形をとって繰り返します。

「偶」といわれる部分です。

釈尊の言葉は、こうして忠実に伝えられ、唱えられました。

しかも、こうして合謂によって伝えられた言葉は、約百年ごとに全員で確認され、

誤りがあれば正され、編集のし直しが行なわれているので、

現代人が想像する以上に正確なものとなっています。

 

合調伝承から文字であらわす「経文」へ

釈尊が減して約三百年、即ち、紀元前一~二世紀のころ、

それまで合謂伝承されてきた釈尊の言葉が、文字で表現されるようになりました。

文字になると、解釈や註釈が行なわれ、それにともなって議論が行なわれるようになります。

こうして、しだいに膨大な仏教哲学が文字によってあらわされてゆきました。

 

なぜ、たくさんのお経ができたか

仏教では、病気によって薬を与える(応病与薬)のと同じように、

人によって真理の説き方を変えています。

それは、人々がそれぞれ育った環境も理解能力も違っているからで、人をみて、

その人たいきせつぽうに合った説法をする「対機説法」というのが仏教の特色であり、釈尊の教えなのです。

ですから、誰に対しても同じ言葉、同じ説法を無理強いするようなことはしませんでした。

その結果、あんなにたくさんのお経が生まれたのです。

 

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